life of seclusion

晴耕雨読

I don't feel comfortable Japan

ルールは殴るための道具になっているような気がする。

独自に作ったルールで、それに反するものを見つけては殴りつける光景は日常的になってしまった。

本来は互いが干渉し合わずにすむための最低限の約束事のはずなのに、一方が気に入らないもの吊るし上げるための方便でしかないように思う。
そのうち息をするのも気に入らないとかお前の命を返上しろと言われかねない。

妄想と言われるかもしれないがそれくらいの危機感を持っている。

我々の世代は何かと理由をつけて世間から虐げられてきた。ここから出ていくための準備をしている。

ここから出ていくことに対して申し訳ないとか微塵も思わない。この社会に対して絶望すればするほど勉強が捗るのは皮肉でしかない。

死ぬ前に知らない世界を見てみたい

死ぬためにためている金で海外に拠点を移したい。そこでうまくいかなければ、人間として生きること自体向いていないのだからその時、自ら幕を下せばいい。それまでは生きてみようと思う。終わりを決めたからころ前向きに慣れている気がする。


自分にはないものない。無能で人を惹きつける魅力もない。
ただ単に都合のいい人間としてのみ存在を許されているように思う。

本当に何もなくて強いて言えば命しかない。
だが、これはもう捨てていいかなって思っているが、これは今すぐ死ぬことはないだろうという慢心から来ている。どうしてこんな面倒くさい思考しかできないのか・・・。

迫害

Wikipediaには迫害(はくがい、英: persecution)とは、力で弾圧・排斥する行為を言う。
デジタル大辞泉には弱い立場の者などを追い詰めて、苦しめること。
とある。

とかく、ここの人々は迫害がお好きのようで、嫉妬と怒りを持って攻撃対象を見つけては集団で襲いかかり迫害することに余念がない。

他人の笑顔、幸せそうな顔が許せないらしく、苦悶、苦痛に歪ませようと襲い掛かる。

もう俺はここから出て行きたくて仕方がないが、気軽に海外へ脱出するもの許されない年齢になってしまっている。

たが俺は諦めない。精神を何度も病んだし、詐欺師には俺の良心を弄ばれたし騙されもした。もうこんな生きずらいところにはいたくないし、最後くらい人間らしく生きてみたい。

諸行無常

諸行無常を意識することが増えてきた。
それは長く続かないし、必ず終わりがくる。
その前に立ち去らなければ、こだわりを捨てなければ。
何もない、生きる意味もない、そこまで削ぎ落とせば生に執着することなく、気軽に逝けるのかもしれない。

生きることは病

性格、思考、行動全てが生きることに向いていない。

抗って生きようとするから常に苦痛に苛まれる。

娯楽は一時的にそういった苦痛から逃れるための緩和剤でしかなく、その効果は一瞬でしかない。

すぐにまた苦痛に襲われる。

安らかに逝くために準備しなければ。最後くらい自分の好きにさせてくれ。

ひと段落

ようやくひと段落ついたので、週末のイベントを楽しみつつ進めていく。

具体的に期間を決めたほうがいいのだろう。自宅だとなかなか集中できないので、ありきたりではあるがカフェとかによって勉強したほうがいいのかもしれない。