life of seclusion

晴耕雨読

生きるのに向いていないと辛いという感情に覆われる

別でブログを書いるが、正直当たり障りのない内容で誰の共感も得られないと思いつつも、それでも読んでくれる人がいるので書いている。しかしここで書くようなことはあちらでは書けない。


このブログもプライベートモードに設定して非公開にしようと何度も思ったが今のところ非公開にはしていない。


もうここ何年か死にたいという感情を抱きながら生き残っている。死にたいというよりも生きたくないというのが感覚としては近いかもしれない。


あることがあって人を信用できなくなり「生かす気もないのに死ぬなというのは本当に無責任」としか思わない。


生きづらい状況から脱する手段やきっかけを提供してくれるわけでもない。ちょっとでも死にたいと意思表示しようものなら、ただただ生きろと根負けするまでしつこく説得されるだけだ。

「あなたはかけがえのない存在だ」と言われても自己肯定の低い人間にとってその言葉は嫌味にしか聞こえない。それは何の解決にもならないし、苦しみ続けることを強要されるだけだ。


どういう気持ちで活動しているのかは知る由もない。救いたいのであれば具体的に明確に示してほしい。


今は何をしていてもちょっとしたことで死にたいという感情が湧く状態にもう疲れ果ててしまっている。